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鴎外の婢 松本清張著

『旧椿市村の福丸は、豊前平野の北部が西に尽きた山の麓に当っている。「あの山が平尾台ですばい。山の上は石灰岩のゴツゴツ出ておって、山口県の秋吉台のごとあります。よかドライブウエーのできちょりますけん、車で上がってみますか?」運転手は座席の浜村をちょっと返り見た。』(鴎外の婢/松本清張より)

平尾台は北九州市、行橋市、京都郡苅田町・みやこ町(旧勝山町)、田川郡香春町に跨る国内有数のカルスト台地。行橋市を含む京都平野(みやこへいや、または豊前平野とも呼ばれる)の北西端に位置し、標高400~700メートルの山々から成っています。最高峰は小倉南区の貫山で標高712メートル。小倉側にはほかに標高587メートルの大平山や標高582メートル塔ヶ峯などがあります。

一方、行橋側からは湿原が広がる広谷台をはじめとして桶ケ辻、周防台、水晶山、鬼の唐手岩などを見ることができます。特に「桶ケ辻」は我家から車で数分程度山のほうに近づいただけで大きく眼前に立ちはだかるほどの山塊で、行橋市内はもとより近隣の地区からでも目にすることができます。

冒頭の引用文は主人公の文筆家浜村が行橋市を訪れ、取材のため平尾台の麓の「福丸」まで来た場面です。タクシーの運転手さんから平尾台に行くことを勧められますが、浜村は小倉の古書店で入手した「神代帝都考」(狭間畏三著/明治32年)に出てくる「長峡県(ながおのあがた)」のことが気になり、運転手さんの勧めを断ります。「神代帝都考」では長峡(ながお)は旧椿市村字長尾(現・行橋市大字長尾)と出ていて、「福丸」に来る途中に眼にした標識に「史跡・長峡県(ながおのあがた)」とあったからです。
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雪の平尾台
左側の大きな山のピークは「桶ケ辻」で標高568メートル、ピークのすぐ右、肩越しにわずかに突起が見えるのは「周防台」で標高606メートル、写真中央付近は「貫山」で手前は、「四方台」「広谷台」あたり。湿原や「鬼の唐手岩」はこの付近です。「広谷台」から「偽水晶山」「水晶山」「高城山」と続きます。引用文中の「福丸」は「桶ケ辻」の麓の写真左隅あたり。写真は2月13日に行橋市長木地区から撮影。薄く雪景色。九州人はこの程度の雪でもカメラを向ける習性がある!

さて、松本清張著「鴎外の婢」は、昭和44年に「週刊朝日」に連載された「黒の図説」の第3話にあたる推理小説です。
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陸軍軍医監森鴎外は小倉赴任時代に10人あまりの女中さんをやとっていますがいずれも長続きせず、さまざまな理由で辞め、あるいは辞めさせられています。そのなかにあって2番目の女中さん「木村モト」は違っていたようで鴎外は「モト」を信頼し何かと眼をかけていました。

このことは、「モト」が鴎外邸の女中を辞してから10年ほどのちの明治42年に数えの30才で亡くなったとき、これを知った鴎外は東京の自宅からわざわざ香典を九州まで届けている事実からも察することができます。

その「木村モト」は、明治13年に今元村今井(行橋市)で生まれています。小説「鴎外の婢」は、モトが鴎外邸を去ったあとの消息を主人公浜村が訪ね歩くうちに思わぬ事件に遭遇するというストーリーで、事実と清張が作り上げた虚構とがないまぜになった短篇推理小説です。

続きます。
by iruka-boshi | 2011-02-18 17:25 | いろんな本 | Comments(0)